若い先生はどこを大事にすべきなのか?

昨日の続きです。実践をまねることではなくて、実践する教師の姿を受け止めることが大事だと述べました。これってどんなことなのでしょうか。今日はそんな話。
 
実践のトレースはなかなかうまくいきません。もちろん瞬間的、短期間ではうまくいくこともあるでしょう。でもその実践家は、それを徹底しているから結果と成長が生まれるわけで、「方法そのもの」が子どもを成長させているわけではないのです。ですから、昨日の言ったようにその姿をトレースしていくことが大事なのです。
 
でも、このように言うと若い先生は「そんなこと言ったってどうすればいいか分かりません!」ということでしょう。そこで少し助け船を出します。
 
まず大事なことはどんな実践にもその背景があります。その実践を行うようになった経緯は何なのか、そしてそれを毎日どのように実践しているか、実践している先生はどこが大変なのか、そこをじっくりと掘り起こすことが大事なんです。でもこうしたことは例え本に書いてったとしても、それを読んだとしても理解できるものではありません。なぜならば我々も子どもと同じように、相手の姿を見ながら事柄を理解するからです。(もちろん本を読まなかったら何にもアクションは起こせませんから本を読むこと自体はとても大事です)
 
素晴らしい実践を行っている人は教師に限らず、オーラを身にまとっています。そのオーラが何から生まれるのか、だんだん分かるようになってきました。それは「膨大な実践に裏付けされる自信」なのです。ですからどんなことを聞いてもそうした人は即答できるんです。
 
でもそうした実践家は、自分で自分のことを説明しにくいはずです。ですから対話を通して、その人の「態」を感じ取っていくことが大事なんです。それを受け止め、自分の実践の仕方をステップアップ出来れば、大抵のことはうまくいくものなのです。逆に方法だけで自分をステップアップしていこうとすると、一つでも何かがつまづけばすぐに授業がぐだぐだになっていくものです。
そしてその原因を方法に求めてしまいます。でもうまくいかないのは自分の実践に裏付けがないからなのです。
 
ですから、本当はできるだけ、実力のある先生の授業をたくさん観た方がいいんです。でもそれは研究校でもなければ実現は難しいことでしょう。それがかなわない場合には実践者との対話をどれだけ重ねることができるかが大事になります。
 
僕は幸いにして授業をたくさん観る機会に恵まれたし、僕よりも素晴らしい実践を行っている同僚ともたくさんの対話を重ねることが出来ました。それが今の自分を創っていると自信を持って言えます。
 
ですから若い先生は、キラキラした「実践」を追うのではなくて、実践する「人」を追って欲しいと思います。