学校とは?

私は「忘れ物」は「どうしても」という時以外にはあまり気にしません。そもそも学校では「必要な教科書は家に持って帰りなさい」と言っていますので、教科書の忘れ物に関してはほとんどないのです。私が厳しく叱るのは「一週間連続で」「先週も」というような場合で、「それは忘れたんじゃなくてだらしなからだよ」と言います。
 
子どもたちは当初、教科書や道具などを忘れると「先生○○忘れました。」といいに来ていました。そんな時、私はこう返します。
 
「だから?」
 
大抵「えっ・・・・」っと子どもはひるみます。「忘れるなんて先生でもあるよ。」と添えます。
 
「だから、どうしたいの? 先生にどうして欲しいの? 忘れ物をしたから許してくださいということなのかな? 許すとか許さないって判断するのが先生の仕事じゃないな。第一、先生に許してもらって何か解決するのかしら?」
 
とさらに追い込みます(笑)でも逃げ道も用意してあげます。
 
「教科書なら先生用のがあるからそんなものいつでも貸してあげるよ。貸せるものはいくらでも貸せるしかすよ。でも無いものは無いな。」
 
そう言うと、大抵は「では隣の○○さんに見せて(貸して)もらっていいですか?」と言うようになります。「○○さんによく感謝してね。」この一言で大抵解決しますし「貸すの嫌だ!」なんていう子どもはいなくなります。
 
どうして? だって誰だって忘れ物して、お世話になるから他人に対しても優しくできるんです。
 
もう少し育ってくると、隣の子に迷惑がかかっちゃうから私の所に「貸して欲しい。」と言いに来るようになります。もちろん在庫のあるものに関しては私はいくらでも貸してあげます。
 
今日もどうしたらよいか自分で考えられずに、ふさぎ込んでいた子がいました。でも誰かがアドバイスをしてくれたんだと思うんだけど(その場面は見ていないのだけど)、しばらく経って教科書を貸して欲しいと言いに来ました。「そうだね!」そう言って教科書を渡してあげました。
 
その後、その姿を元にこんな話を子どもたちにしました。
 
「本当の優しさって考えてね。今日の○○君の忘れ物に関して、先生はすぎに「はいどうぞ!」って貸すこともできたよね。どうしてそうしなかったか分かりますよね。学校って常に「どうしたらいいかな?」って考える場なんだよね。それを考える前に先生が手を出すことを坂内先生は優しさとは考えないな。先生の仕事はみんなを大人にしていくことであって、そのためにどうすればいいかを考えていく仕事なんだね。だからどうしてそんなことを言うんだろう?って常に考えてみてね。」と。
 
さらに、
「でも自分だけで何でもやっていけるわけじゃないよね? どうしていいか分からないこともあるでしょ? そんな時こそ、仲間がいるんじゃないかしら? ちょっとした一言で救われるってあるよね。そうしたとができるのが先生は『学校』何だと思う。だから毎日、学校に来ることが大事なんだよ。」
 
子どもはつまずくものだし、うまくいかないこともある。だからこそ「学校」という場があるのだし、そうした経験を通して子どもから大人へと成長してくのだと思います。そして、こんなことを毎日、毎日繰り返して行くから子どもが成長していくのだと私は思います。