なぜ『学び合い』はうまくいかないのか

最近、様々な方面から深刻な状況が聞こえてきます。あえて書きます。不愉快な方は読まなければよいし、批判があるのならばここのコメント欄は解放されていますのでどうぞお書きください。
 
まず『学び合い』の授業ですが、それが成功している学校・教師はどれだけいるでしょう?(何を持って成功と言えるのかは曖昧だけどね) 私が知っている限り片手で余ります。多くの場合「ひっそり」と批判されることを恐れながら、そして多くの場合「授業が安定しない」ことで子どもや保護者との溝が深まりながら「やっている」と言えます。
 
『学び合い』という授業は強力な看取りの力が要求されます。だって子どもがどの状態で学んでいるのかよく分からないまま「ちゃんと勉強している」なんてことでいちいち感動していたら授業はどうやっても緩んでいくからです。「和やか」ではなくて「ゆるみ」です。実践している人ならばうすうす感じているはずです。
 
次にマイノリティーだということです。マイノリティーであること自体は問題ではありません。でも保護者にとっては重要な問題です。聞いたこともない大学教授の名前を出してきて「これが本当の教育だ!」「こうであるべきだ!」という話を振りかざせばどうなるか想像つきますよね? 保護者にとってはそんなことはどうでもいいことで、大事なのは子どもを伸ばしてくれるよい先生かどうかということなんです。上滑りしている言葉は誰にも染みこみません。
 
さらに管理職との対立です。これが深刻化しているという話をよく聞きます。なぜ深刻化するのでしょうか? それは「管理職に理解がない」という言葉で片付けてよいものでしょうか?
 
私は今の自分の授業よりも一斉授業の遙かに楽です。今の自分の力なら習得率は自分で教えた方がずっと上です。私の学習は効率が悪い。でもその効率の悪さを乗り越える子どもの努力と、課題に対峙する力が生まれるからこそ自分の一斉授業を越えることができます。でもそこに行き着くためには並ならぬ取り組みがあります。これはパナソニック教育財団でつながっている先生しか分からないとおもうのだけど。
 
かって同僚だった古田さんも同じです。環境が変わってその壁を乗り越えていくことは並大抵のことではなく、理解されることは想像を絶するものです。私でも思わずうなってしまうほどの結果をただただ叩き出し、そして「納得」を、「信頼」を得られていっています。(まあ古田さんのやっているのも『学び合い』じゃないけどね)
 
一生懸命に学ぼうとする先生はきっとそうした壁もいつかは乗り越えていくことでしょう。しかし、問題なのは本を見て、聞きかじりした先生です。得意顔で実践し、学級を壊しているのだとしたら、それを推奨している人もまた罪を背負っていることになります。それが怖いから私は昨年まで誰にでも公開してきましたし、できるだけたくさんの授業を見てもらいながら、授業の見方、考え方を伝えてきたつもりです。
 
『学び合い』は学びの本質的なものであるという考えには今でも同意します。素晴らしい授業だと思います。でもそれを実践する教師自身もまた本質に迫る「理念」がしっかりしない限り、永遠に揺さぶられ、ブレていきます。
 
突然思い立って批判しているのではありません。予想通りに諸問題が吹き出してきている現状をもう一度振り返るべきだということです。