見えてきたこと(天命を知る)

職員室である先生に「私ね、『ぶっちゃけ学び合いってどうなの?』ってよく他校の先生に聞かれるんですよ。」そんなことが話題になりました。
 
私はどう答えているかは聞かずに「そうね、簡単じゃないね。だから簡単には人に勧めたりしないかな。ましてや他の学校の先生に無責任に勧めるような簡単な話じゃないからね」そんなことをその先生に返しました。ちなみにその先生も学び合いを取り入れてうまく授業をしているし、子どもたちもよく勉強する教室です。
 
私が「学びの共同体」や『学び合い』をしていたころ、一つの裏側の目標がありました。それは法則化(TOSS)をつぶすことでした。多くの教室でそれによって教室環境が劣悪なって問題が続出している状況を見てきましたし、実際法則化で授業をしてうまくいかない同学年を組んだ講師の先生のなく姿を見てきたからでもあります。
 
しかし、本校で6年生の子どもたちが「「学び合い」さいこー」って卒業文集に書いたのを見た時から自分の教育にも違和感が起こりました。(子どもたちは当時荒れていた自分たちを救ってくれたと感謝してくれて、そう書いたのだけれども)
 
「自分の目指している教育はこんなことじゃないな……」
 
そして『学び合い』も法則化と同じように多くの屍を踏み台にしながら、成り立っていることがみえてきました。それに荷担しているのも自分であり、実は自分も法則化と同じような無責任な発信をしていることに気がついたのです。法則化ももともとが悪いわけではなく、その組織が広がるうちにダメな部分をその教師の力量不足に置き換え、封じ込めてきたことが原因です。それは今の『学び合い』についても同様です。
 
だから私は自分の授業を他者には勧めません。かろうじて自分の学校の先生に勧めるのが精一杯です。なぜならそれで問題が起こってもすぐに自分がサポートできるからです。私が市内や県内で学び合いを推進しないのは法則化の失敗を見てきているからです。私は自分の授業を聞きかじりして実践し、それでクラスが崩壊したり、子どもが苦しんだりすることに耐えられないし、その膨大な責任を持てません。
 
そうすると「私は一体なんのためにこのブログを夜な夜な書いているんだろう?」その説明が最近になってできるようになってきました。誕生日を越えて「五十にして天命を知る」に一歩近づいてきたような気がします。
 
私は焦っていたのだと思う。
教育の改革はもっと緩やかで不可逆的に進んでいることに気がついてきました。私の役割とは「教育改革の流れに揺るかやに誘導すること」なのだと理解しました。40を過ぎて「改革の流れ」がぼんやりと見えてきたからです。方法とかテクニックとか、実はそんなことどうでもよいことなんだとよく分かってきました。自分の「できること」なんて本当にちっぽけなんです。でもその流れに誘導することはできます。自分の持つ限界も見えてきたからこそ、見えてくるものもあるんですね。
 
私の天命はきっとその先にあるんだと見えてきました。