ナショナリズム

日本の領土をめぐる争いの中で、韓国・中国のナショナリズムが目に付きます。子どもにおける思想的教育の怖さを感じます。
 
私が以前の授業スタイルで最初にに違和感を持ったのは、6年生の子どもたちが「○○授業って最高!」って言った瞬間でした。直感的に「違うな」と感じました。子どもを引っ張りすぎているなと感じた瞬間です。
 
私はこんな人間なので人と違うことが大好きです。ですから小学校から型にはめられるのは大嫌いでした。でも仕方がなく(それしか方法がなかったので)流れに身を潜めていました。
 
その違和感から個と協同性ということをずっと考えてきました。勇気づけられたのはレッジョエミリア市の教育長の「個と協同性は矛盾しない」という言葉でした。そして今も個と協同性の両立を考えています。
 
確かにナショナリズム(クラスならばクラス目標かな?)を強く打ち出せばクラスは強力にまとまります。しかし、それと引き替えに個の自由(好き勝手も含めて)というもの奪われることになります。
 
そもそも学ぶというものはなんでしょう? 私はみんなのためにするものではないと考えています。私は学ぶということは「快楽」であり、未知のものを会得しようと好奇心であり、自己有能感を満たすものだと思います。私は学ぶ動機というものはもっと私的なものだと感じます。
 
ですから今は教室にそれだけ「おもしろさ」を組み込めるかだけを考えています。この教室で学ぶことが楽しくて楽しくて仕方がないってニコニコしながら言えるような、自分の好き勝手ができるような、自分のペースでできるようなそれぞれが自立した集団であって欲しいと思うのです。