民と公は混じり合えないのか?

武雄市の樋渡啓祐市長さんが市立図書館とTSUTAYAとの連携を表明したことで多くの議論を呼んでいます。個人的には「それもあり」だと私は思っています。もちろん、あらかじめ想定される問題点について利便性を損なうことなく解決していく必要はあると思いますが。
 
 
私が東京の大学にいた頃、ある大手の塾でアルバイトで講師をしていました。その塾は「四谷大塚」と提携を結んでおり、塾で使うテキストは四谷大塚のものです。当時からその内容のボリュームと分かりやすい写真、テキストの大きさなど、どれもが公立で使っている教科書よりも洗練されていると感じていました。というのも当時の大学の授業で全ての出版社の教科書を購入して内容の違いを分析をしていたからです。塾のテキストから比べると教科書に載っている内容も説明もあまりにも貧弱でした。
 
また、塾でも講師の質を向上させるために年に何回か指導講習会を行います。そこではとても細かい部分まで切り込んで学習指導のあり方を指導されます。
 
武雄市の例を公立学校に置き換えると、公立学校の授業に塾のノウハウを入れるようなものです。多くの場合こうした取り組みは批判の的となります。でも私はアリだと思います。塾は膨大なノウハウを持っており、学習状況の解析やどのようなところで子どもたちがつまづきやすいのかをある意味我々教師よりも知っているのですから。(もちろん私の実践している協同学習などとは混じり合えない部分もありますけどね)
 
私は息子の幼稚園を選ぶときに、実際に足を運んで幼児たちをずっと観察したり、声のトーンに耳を澄ませたり、幼児に声をかけたりしました。そしてそこの持つ理念や縦割りの編成に納得し、入園させました。これは私立だから簡単にできたことです。
 
将来、日本の学校もオランダのように将来は公立と私立が半々で混在することを願います。私立でも公立でもかかるお金は同じです。ですから保護者は自分の子どもにどのような教育を施したいかで学校を選びます。ですから親自身が教育について考えていく力が求められていきますし、学校のあり方もそれに合わせて多様になっていくのです。
 
武雄市の樋渡啓祐市長さんの取り組みは公のあり方について議論の口火を切るものだと私は思います。ですから大いに議論が巻きおこればよいと思います。(一部にあるような誹謗中傷には本当に嫌気がさしますけどね)
 
少子高齢化が進む日本。その未来を担う子どもたちの教育。私は今まで通りというはもはや通じないものではないかと考えます。