スィーツ

東京にいた大学時代、有名なケーキのお店はしらみつぶしに食べて歩きました。お金も時間も余裕があった時代ですから都内にあるお店は代官山から銀座までそこら中、お金には糸目を付けずに食べ歩きました。
 
その中でダントツだったのは「DEMEL」のザッハトルテでした。ザッハトルテそのものはひどく甘ったるいだけですが、そこにホイップされたクリームと合わせると絶妙なおいしさになります。ウィーンでの政治がらみのために開発されたケーキという意味がよく分かります。一緒に食べ歩いていた女友達は、新婚旅行はそのケーキをホテルザッハの本店で食べるためにウィーンにしたくらいですから。
 
先日、本店が閉店すると聞きつけ、東京に家族で行った際、原宿にあるお店に足を運んで見ました。本店で食べるのは20年ぶりくらいです。嫁さんと息子と思い出のケーキをパクリ。
 
「あれ?」「あれれ?」 「こんなもんだったっけ?」
 
20年ほど前、あれほど愛していたケーキなのに今ではそれほどおいしいと思えませんでした。同じように先日食べた札幌でもっとも評価の高いお店ケーキは、近所に出来たお店のケーキと味もおいしさもそっくりでした。(札幌のお店のレベルが低いのじゃなくて意外にも近所のケーキ屋がすごいレベルだったということです)
 
 
教師として採用されたばかりの頃。先輩方の授業は光り輝いていました。
また、名だたる有名校の授業を観ては、自分の未熟さを改めて思い知ったものです。今、同じ授業を観たらやっぱり当時と同じような感動や落ち込みをするでしょうか。
 
今の自分は、隣のちょっとした一言や取り組みにも「いいね〜」と思えたり「すごいな」と思えることが多くなりました。以前なら「自分が一番」と気を張っていたものですが、素直に他者の実践を受け入れられるようになりました。その人なりのすごさが見えるようになってきました。
 
でもきっとこう思えるにはきっと時間がかかるんでしょうね。若い先生はケーキの話のように身銭を切ってでもたくさんの授業を「食べた」方がいいと思うし、いろんなジャンルの実践を模索してみればいい。その中でたくさんの人とつながり、いろんな考えを吸収し、ぶつけ合えばいいのだと思う。その中から「自分」が生まれてくるのでしょう。
 
私も若い先生の踏み台になれたらいいなって思います。ザッハトルテのように光り輝いた存在(頭じゃないぞ!)として写ったら素敵。さらにそう思った人が20年後「私の方がずっといい実践しているもんね」こう思ってもらえたら最高に幸せ。
 
自分の役割ってそんなことなんだと思う。
 
PS
もっとうまいスィーツあったらだれかこっそり教えてください。