エレン・ケイ

時々、ふと立ち止まって考えます。「これでいいのかな?」
 
そんな時に立ち止まって読むのは、エレン・ケイの「児童の世紀」です。
もう何回読んだかな?
 
私は「学び合い」を広げるために「学び合い」をするでもなく、「学び合い」のために「学び合い」をする訳でもありません。私には型もないし、これをやったらうまくいくなんて方法も持っていません。先日の福島の会でも、「私のやっていることをトレースしない方がいいと思う」という話しもしました。そして私は「学び合い」を人に勧めたりしません。
 
私は、自分の抱える子どもたちの未来を広げていくことで実は精一杯なのです。それほど「学び合い」は楽ちんでもありません。先日、転校した子どもも「「学び合い」は本当に楽しくすごいんだけど、フルパワーを出すのは本当に大変でした」というお手紙を書き残していきました。ただ、その子の保護者からは「きっとこの子の未来にとって、とてもよい学習をさせていただきました」とお話を頂きました。それを聞くと自分の頑張りもきっと何か役に立ってはいるんだろうねと温かい気持ちになれます。
 
でも「学び合い」での授業は自分も結構消耗していきます。苦しくなってちょっと立ち止まることも私だってあるんです。
 
私は過去の(それは例え昨年でも)実践を本当に恥ずかしく思います。まだできるとがあったし、もっと力をつけられたんじゃないかと。
私の実践は30年後に生きるものなのか、ただそれだけが気になり、立ち止まります。きっとそれは退職するまでずっと続くのでしょうね。
 
自分の授業でどんな未来をこじ開けるのか、私の興味は今はそこにしかありません。