大事なこと

静かな学級崩壊

静かな学級崩壊 学級崩壊というと、「特定の子どもたちが暴れだし、周りの子どもも関心を示さず、そして、学級がすっちゃかめっちゃかになってしまう」そんなイメージを持っていることでしょう。 もうひとつ、「静かな学級崩壊」というものがあります。「男…

みんなが天才じゃなくてもいいんじゃない?

今日は理科の授業研究会で私の授業・クラスが公開となりました。特に特別な授業をすることも、特別な準備もなく、日常的なことを日常的に行いました。 ただ、こうした日常を繰り返してきた2ヶ月間の集積を僕自身が観てみた方ので、授業をすることに立候補し…

最も恐れなくてはいけないこと

僕は学校が荒れるよりももっと怖い状態があります。それは「無味無臭」です。多くの学校が特色のある教育を推進しようという声とは裏腹にどんどん学校そのものが無味無臭になっているような気がします。 それはファストフードの食事のようなもので、多くの人…

点から面へ

ほとんどの教師は善良で子どもを大事に考えています。 ただ、教育も他の職業(それがサービス業でも生産業でも)と同様に、 より踏み込んことでいくことでしか、子どもの成長を促進させる術はありません。 しかし、強く光り輝くことで、普段は十分に明るいの…

紙一枚の成長

多くの教師がFacebookやブログに限らず、様々な実践の情報を受け止めて、「まだまだ自分は力が足りないな」とか「なんてすごいんだろ!(自分とは違って)」って思っているかもしれませんね。でも、みんなそんなにうまくばかり行っているはずがありません。…

「子どもらしさ」なんていらない

これは私が年を経るごとに強く感じるようになってくるのですが、学校の子どもがどんどん子どもっぽくなってきています。 なぜだろう? 家庭の問題かしら? 社会の問題かしら? それとも学校の問題? その原因を考えていくうちに、その大きな原因は実は学校に…

テストとは何か

僕はこれまでかなりNRTの数値にこだわってきました。 というのも僕の授業は型破りなので、どんなに子どもの姿が良くても、数値として表さないと保護者にも周りの教師にも理解されないからです。もちろん、テストでよい成績を叩き出すというのは子どもにとっ…

学校の商業化がもたらしたもの

少なくとも僕が教師になってからどんどん学校は商業化してきました。 その顧客は子どもなのではなく保護者となっています。 ですから全ては保護者の満足を基準に学校の運営がなされます。 これは一見、正しいことのように思えるかもしれません。 しかし、こ…

教育の責任

福島第一原発事故の責任はどこにあるのか? それを誘致した人も、それを受け入れた人も、それを建設した人も、その設計をした人も、その責任は曖昧なまま、結局は誰の責任にもならないような仕組みになっています。東京電力は賠償金を支払うという形での「責…

任せるということ また

なぜ「学校」とは子どもに任せないのででしょう。 理由は簡単です。 「面倒だから」です。 この面倒にはいろんな側面があります。 教師のコントロールできるところから外れてしまう。 任せると時間がかかる。 任せると子どもたちがもめ事を起こす。 などなど…

任せるということ

僕が学びの共同体で授業実践していた時、 「教科によって学び合いが成立しにくい」 「研究校でもうまく実践できている先生は少ない」 この2つの壁について、うまく説明せきませんでした。僕も研究校で4年目を迎えるくらいには、理科の授業なら誰に見せても…

人が人らしくあるということ

子どもは考えもしないような愚かなことをしでかします。そのことは昔、子どもであった大人そして教師はみな知っているはずです。 もちろん、大人はそうした子どもの愚かな行動を叱る役割を担っています。でも叱るだけでは、決してうまくいかないことも知って…

教師の自立

教師の自立とは何か? 逆に考えてみます。今の教師は教師として自立していると言えるでしょうか? 多くの教師は「任されない」「やりたいことがやれない」「どうでもいい仕事が多い」「授業を学ぶ機会が与えられない」「部活動で忙しい」など、多くの問題を…

教育の変革

自分は教育のために何が出来るのだろう? 僕のようなちっぽけな人間がどれほど背伸びしても、人に与える影響なんてちっぽけなものです。ほぼ0といえるでしょう。僕が若い頃はもっと人に求められたいとか、人に話を聞いてもらいたいとか、人にすごいと認めて…

理念って厄介なもの

僕は何度か教師にとって理念が大事だと言ってきました。 ただよく考えてみると、この理念というのはとても厄介な物であると分かってきました。今日はそんな話。 ことわざに「あばたもえくぼ」という言葉があります。欠点も思い込みで長所に見えてしまうとい…

「教科」なんてない

学問というのは高度になればなるほど細分化していくように考えている人がいます。本当でしょうか? 30年前まで恐竜が絶滅したのは、気候変動だと考えられてきました。また種子植物の反映、ウイルスなどさまざまな絶滅理由が考えられてきました。しかし、こ…

在り方とは? また

「教師は在り方なのである」 では我々教師はどうすればよいのでしょうか? 僕は教師が教育というものを授業を通して見えるようになるためには、約1万時間必要だと何度か言ってきました。我々は年間約1000時間ほど授業しますから、これには10年ほどか…

在り方とは?

僕はよく「在り方」という言葉を使います。たくさん使うのでリンクはのせないので、興味ある方は上部でこのブログのワード検索してみてください。 この「在り方」というのは、他者にとって分かりにくい言葉であることは十分に承知の上です。でも他の言葉に置…

とんたん2014

正直今の僕には、授業の細かな部分の「どうのこうの」にはほとんど興味はありません。 そりゃうまく行く時だって、うまく行かない時だってあるもの、少なくとも細かな部分に関してどうのこうのいうのは、僕の役割ではありません。僕はこの数年で子どもがどう…

子どもの居場所

いつ頃からでしょうか? 買い物や用事のために車で市内の学校を通るとほとんど子どもが遊んでいません。放射線? いえいえ、原発事故の前からです。(ちなみに郡山市内の学校の校庭は除染が行われたことでほとんどが毎時0.2μSv以下となっていて、泥遊びでも…

1%

私は(私たちは)どの教師にも自分の(自分たちの)実践を理解して欲しいとか、実践をまねした方がいいとか思っていません。おそらく単純に聞きかじりして実践をトレースすれば大きく間違うことになりかねません。 僕の実践が直接的に取り込めるのは教師全体…

部活は学校に必要か?

この手の話は非常に反響が大きいのですが、これを書く僕に対しての批判も大きいんです。でも最近の話題を元に少しばかり書きたいと思います。 最近、長野県教育委員会で「朝の部活動に見直しをかける」ということについて話題になりました。僕は基本的に賛成…

僕は何をやっているのか 最終回「アダプティブ戦略」

僕は何をやっているのか。 僕は以前から言っていたように、学びの共同体で分からなかった最後の鍵を『学び合い』の中で見付けることができたのです。これはブログでも何度か書いてきたと思います。僕の授業は学びの共同体の一つの完成形だと自分では考えてい…

僕は何をやっているのか その4「方法と人間を超えて」

話しを続ける前に、どうして「学びの共同体」も『学び合い』も授業者によってゆらぎが大きいのか、その話をしたいと思います。 子どもの学びを主体とし、教室の子どもの話(学び)をコントロールする「学びの共同体」では、そのコントロールがうまくいきませ…

僕は何をやっているのか その3「方法なのか人間なのか」

昨日に続く前に、法則化(TOSS)について少し。指導法を全国の教師から集約したその手法は見事だと思います。さらにネットの時代とみるや、全国の法則化教師に呼びかけタケノコのようにHPを開設して、指導法の普及に努めました。何よりも僕が注目するのは、…

僕は何をやっているのか その1

この2年近くずっと自分の授業については言葉でうまく説明することが出来ませんでした。 「とんたんさんは、学び合いの方ですよね?」と言われると 「いいえ、違います。以前はそうでしたけど。」と返します。 「では、今はどんな授業をなされているんですか…

僕は何をやっているのか その2「方法なのか人間なのか」

僕は教育史のことはよく分かりません。ですから僕が現場に立ったころ(20数年前)に見えてきた景色から、今日までの教育について、僕が知っている部分で話しをしていきたいと思います。 ※「そこは違うんじゃないの?」とか「もっとこんなのもある」と思わ…

格下?

ある方からのあるメールを受けて。 日本の教育の世界では、ロースクールを格下に見る傾向があります。僕も何度か授業参観で意見を申したら、露骨に「中学校の先生にしか分からないような中身なので小学校の先生には指摘されたくない」というようなことを言わ…

「やらない」という選択

学校現場もIT化により、以前よりもずっと効率よく仕事が出来るようになりました。例えば、僕が教員になったころは、まだワープロ(ソフトじゃなくてハードね)の時代で、みんな自前ですから互換性がなく、校務分掌の引き継ぎは紙ベースでした。(ちなみに僕…

光と影

強い光があると、その分、影は色濃くなります。 光の指向性が高ければ高いほど、その影の輪郭はくっきりとします。 光は輝こうとすればするほど、影もまた色濃くなるのです。 学校というものは、光も影も好まれません。 だから、「ぼんやり」とぼかすのです…